西混第17回定期演奏会の演奏曲解説 [1st、3st、4st]
第1ステージ 無伴奏混声合唱のための「7つの子ども歌」より
「演奏会の構成上、ア・カペラ(無伴奏)の曲も入れたい。」と考え、副指揮者さんに相談し依頼したら、最近人気の信長貴富氏のアレンジによる子ども歌を選んでくれました。楽曲はなじみのメロディなのですが、アレンジは西混にとって決してやさしいものではありませんでした。が、歌い込むうちに「何とかものにしたい」という思いが強くなり、本日、西混なりの「子ども歌」が仕上がりました。全7曲のうちから5曲を抜粋して演奏します。

*「一番はじめは」
日本各地の神社仏閣が出てくる、いわゆる“数え歌”です。毬つきやお手玉遊びの歌として広まったようです。子どもたちが楽しげに遊んでいる情景を思い浮かべながら歌いたいと思います。日本古来のわらべ歌かと思いきや原曲はフランスの作曲家による軍歌だそうです。
*「通りゃんせ」
江戸時代から全国各地で歌われていたわらべ歌です。地域によっていろいろな旋律があるようですが、本居長世の補作によって現在のかたちとなったそうです。指揮者は、幼稚園の頃この歌で遊んだ記憶がありますが、現在でも子どもたちの間で歌われているのかしら?懐かしく聴いていただけるよう思っています。
*「ずいずいずっころばし」
この歌も小さいとき、お正月に祖父母の家に集まった従妹たちと遊んだ記憶があります。最後に指を入れられた人が、お雑煮に入れるお餅を焼く火鉢の見張りをするんですが、暖かいので“鬼決め”のようにいやではなかったことを覚えています。“懐かしさ”とともに“楽しさ”もお伝えできればと思います。
*「三地方の子守歌」(「天満の市は」「寝ろじゃ寝ろじゃ」「五木の子守歌」
大阪と青森県津軽地方、そして熊本県球磨郡の三つの子守歌を組み合わせた曲です。“ララバイ”というとお母さんが子供を寝かせるのに歌うやさしいイメージがあるのですが、日本の古い子守唄は、子供が赤ん坊を背負って寝かせている貧しい家庭の“もの悲しい辛さ”を感じてしまいます。それにしてもこの曲の後半、女声の4拍子と男声の3拍子が同時に進行する部分があり指揮者は練習で“辛さ”を味わっておりました。
*「あんたがたどこさ」
手まり歌の中で一番有名な曲ではないでしょうか。この曲で思い出すのは、子ども心に「狸って食べられるんや」って思ったことと、毬つきしていて歌詞の“さ”のところで足の下にボールをくぐらせたこと。それからキャンプファイヤーのゲームで歌詞の“さ”を歌わないっていうのがあったこと。そうそう熊本県にせんば山ってないそうです。
第2ステージ 「西混の選ぶ、少し大人のジブリ」
定期演奏会のアンケートでポピュラーな曲を取り上げないと、必ずといっていいほど「知っている曲も聞きたかった」というようなご希望を頂戴します。ということで今回のコンサートではスタジオジブリの映画の中から5曲。ただし「トトロ」や「ポニョ」といった子供さんに大人気の曲ではなく、子どもの頃や青春時代を振り返ってみたらという少し大人の視点で選曲してみました。

*カントリーロード
「耳をすませば」のテーマ・ソングとして取り上げられていますが、もともとはアメリカのカントリー・シンガーであるジョン・デンバーの代表曲です。カントリーフォークの名曲を、自分の行き場探しをする若者の気持ちを代弁する歌として登場させています。

*もののけ姫
「もののけ姫」のテーマ・ソングとして作られた曲です。カウンターテナーの米良美一さんが歌って有名になりました。人と自然の共存という問題に真正面から向き合う作品であるとともに、「自然」と「人の心」の双方に「もののけ」と「神」が住むことの暗喩を感じます。凛とした世界です。幼い子どもの様な心なら感じることのできる世界なのかもしれません。
*やさしさに包まれたなら
「魔女の宅急便」のエンディング・テーマとしておなじみのユーミン(松任谷由実ではなく荒井由実)のスタンダードナンバーです。子どもの頃はすべてのものが新鮮で、木々の間から差し込む陽光や花の香りでさえ何かわくわくさせてくれたように思います。その「わくわく感」みなさんにお届けできればと思います。
*いつも何度でも
「千と千尋の神隠し」のテーマ曲として知られています。木村弓さんの作品で自らライアー(リラ)という小型の竪琴を引きながら歌っておられたことを覚えています。「『幸福(幸せ)』というものは、一人ひとりの心の中に見つけられるもの」という真実を語っているように思います。
*君をのせて
「天空の城ラピュタ」の主題歌として大変有名な曲です。この曲を聴くと「人が何を目標に生きるのか?」という課題と夢が明確な形となっていなくても「生きていこうとする若い力」を感じるのです。そして「そんな一人ひとりの思い」をのせて地球は回るのです。何か「目に見えないものの大切さ」を教えてくれているようです。

第4ステージ  混声合唱組曲「水のいのち」
コーラスを始めた高校生の時、この楽曲を初めてレコードで聴いて「なんて素敵な曲なんだろう」と感じたのを覚えています。大学の時に浅井敬壹先生の指揮で全曲歌うことができ、ますます好きになりました。現在も邦人の合唱曲の中で最も好きな楽曲です。指揮をさせていただける立場になり、50歳の自分が人生に対して感じている様々な思いを「水のいのち」にのせてお伝えできれば幸いです。

1 「雨」
私はこの歌に神様の愛を感じます。神の愛は「何かができるから与える。」「何もできないから与えない。」といった差別は一切ありません。神の愛は「雨」のように「立ちすくむもの」の上にも「横たわるもの」の上にもわけへだてなく降り注ぎます。そして神の与えられた本来の姿に立ち返らせようとします。その詩の中に、自己を肯定しありのままの自分を受容するところから人の成長が始まるとも感じています。
2 「水たまり」
土の道がたくさんあったころ、雨上がりにはそこここに水たまりができました。やがて蒸発して消えてします。そんな水たまりに人生を重ね合わせて無常観を感じさせます。ただ、その限られた時空の中にも高みを目指そうとする自己実現への思いが歌われています。人が内なる世界に目を向けたときその思いは無限の時と空間を感じることができるのかもしれません。
3 「川」
人は運命という流れに逆らうことはできない。少なくとも“生”を受けたものは必ず“死”を迎えます。その姿は、まるで引力に逆らえず下へ下へと流れていく川のようです。目に見える現実は人生が“死”に向かって進むように、ただひたすら“海”へと流れていく“川”ですが、山や空といった高みにこがれその流れの中に石や魚をみごもります。人が暮らしの中に誠実な思いを抱くように。
4 「海」
季節や天候によってさまざまな表情を見せる“海”。そのような気まぐれにも見える“海”にすべての川は注ぎこみます。そして“海”は沈めるものと空に返すものを見定めます。まるで人が最後の時に神の裁きに身をゆだねるように。すべての“いのち”は“川”が“海”に帰っていくように “母なる神のもと”に帰っていきます。この歌には、神によって「満ち足りた死」となることの「祈り」を感じます。
5 「海よ」
“海”はすべてを受け入れる“広さ”を持ち、限りなく繰り返す“時”を持ちます。限りなく広がる時空の中で人は、“生”に対する限りない思いを抱いて一日一日を、一年一年を繰り返していきます。しかし現実の中で人は過ぎる日に退屈したり、来る日に不安を抱いたりします。ほんとうは同じように見える一日も、昨日と今日は異なり、今日と明日は異なります。その中で少しずつ成長しているのですが、見えない翼に気づかない人には退屈や不安がおそってきます。空に上げられてまた降りそそぐ“水のいのち”のように人は円環の中で進化していくのです。そういう“人”という存在をいとおしいと感じる自分がこの歌の中にあります。